スリランカ爆破テロからイギリス統治の邪悪さを知った。

スリランカで4.21に爆破テロが発生し死者が290人も出たという。

www.bbc.com

これほどにも死者数が多く発生する事件は中々ないのではないのだろうか?
そして気になるのがスリランカという国で発生した事だ。

僕がスリランカという国に対して持っている知識としては、インドの隣国、旧名がセイロン、イギリスの植民地、日本のインドカレー屋さんにいる店員大体スリランカ人説ぐらいしか知らなかったので、今回調べる事にした。

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スリランカはインドの東に位置する島国であり、人口は2000万人、GDPは658億ドル(2013年)らしいので、福島県とだいたい同じほどの国力を持っていると言える。
また1948年までイギリスの植民地であり、1972年に現在のスリランカに改名するまではセイロンと言われていた。日本でもセイロンティーが有名なように、紅茶栽培がとても盛んな国であり、茶葉の生産量は世界3位との事である。そして調べていく中で特に気になったのが1983年から2009年まで勃発していたスリランカ内戦だ。20年以上も続く内戦は珍しい。この原因はなんだろうかと思い調べてみた所、イギリスの植民地政策に依る物が大きいと分かった。

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スリランカは人口の7割がシンハラ人、2割がタミル人を占める国家である。イギリスが支配するまではこの両者は特に争いを起こすわけでもなく、調和していたらしい。しかしイギリスが植民地として支配しだすと状況が一変する。イギリスは支配を安定させるために、少数派だったタミル人を優遇し警察や役人に登用する一方、シンハラ人に対しては高等教育を受けさせないなどの差別的な政策を行ったのだ。少数民族を優遇し、多数民族を冷遇するというこの手法はよくイギリスが植民地支配で行う手法で、いわば多数派民族の不満の矛先をイギリスではなく少数派民族に向けさせる事で統治を安定化させてきたのだ。こうすれば植民地内で対立が発生するので、一致団結してイギリスに反抗する事ができなくなり、イギリスは支配しやすくなるというまさに悪魔的な所業である。しかもイギリスが撤退した後にも禍根を残すという、、

これと似た例としては、ベルギーが行ったルワンダ植民地政策が挙げられる。ここでも少数派のツチ族を優遇し、多数派のフツ族を冷遇した結果、民族対立が発生しのちのルワンダ内戦に繋がった。この結果100万人近くもの人々が虐殺される事となり、今でもその影響は大きい。

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(ルワンダ内戦を扱った映画ホテルルワンダ)

話は元に戻るが、このイギリスが行った民族分断政策のために、スリランカ内でシンハラ人とタミル人の対立が発生し、この両者による内戦が20年以上も続いたのだ。

日本の植民地支配をよくある一部の国から攻撃される事が多いが、このようなイギリスの酷い政策を知ると、よっぽど日本の植民地政策の方が良かったのではないのだろうかと思う。5chでブリカスと呼ばれる一因だろう。